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| 皮膚がんの手術と名医 |
皮膚がんの手術をすることになりました。
ありがちな話ですが、いざ病気の告知を受けるまでは、健康のありがたみなど感じることもなく、ただせきたてられるように毎日を送っていました。 満足か不満かと聞かれれば、漠然と不満と答えるような生活です。 それでも、皮膚がんの手術をするかどうかという選択をしなくて済んでいただけ、幸運だったのでしょう。
無慈悲な医師は、眉一つ動かさずに病名を告知しました。 テレビドラマなどでは、家族に伝えて本人には伏せておくというのが一般的なようでしたが、皮膚がんの手術を考えなければいけないところまで病状がしんこうしていたためか、私は直接教えられました。 驚きと、嘘だろうという疑いとが混在し、現実感は伴いませんでした。 抗がん剤治療や手術など、決断することが求められる機会は少なくありませんが、そのときに何を根拠にすればよいのでしょうか? それが主治医の意見であるのならば、やはり皮膚がん名医による冷静で、豊富な経験に裏打ちされたものであることが望ましいでしょう。
手術で皮膚がんが治るなら、始めはそんな軽い気持ちでしたが、徐々に事の深刻さが実感を伴ってきました。 幸せとも思っていなかった暮らしでも、死を意識した途端に、いとおしくなるものです。 生きたい、シンプルな願いを持ちました。
生存率を高めたり病気を治すために皮膚がん名医ランキングを利用するというのが正しい姿勢であって、必要以上に神聖視する必要はありません。 あくまでも、重要な資料の一つとして捉えるのが適切でしょう。 病気を治すことができたら、若い頃に行った旅行先をもう一度訪れたいという動機で活用したってかまわないのです。
完治を目指して生存率を必死に上げることが、患者の努めでしょう。 義務や努力目標などというものではなく、自然の摂理として生きるということがあり、そのための手助けの道具として、皮膚がん名医ランキングがあるのではないでしょうか?
仮に手術をしても皮膚がんが完治する保障はどこにもありません。 100%が世の中に存在しないことはやむを得ないとしても、やはりそれを期待してしまうのが人間の感情です。 身体にメスを入れるということへの抵抗と、他人に命を預ける不安に迷いました。
せめて、名医が見つかれば、あるいはその世界で権威と呼ばれる人物に皮膚がんの手術を行ってもらえれば、そんな願いを持ちました。 重病なのですから、なんにでも対応しているゼネラリストな医師より、高い専門性を持つ医師の方がふさわしいと考えました。 ネットで調べても見ましたし、知人に聞いてみたりもしました。
調査を進める中で、ネット上で皮膚がんの手術を名医に行ってもらい、成功して無事日常生活に復帰することができた末期患者の話を見つけました。 私より重い症状を治した名医に会いたい。 改めて診察を受けて、抗がん剤の投薬治療をするのか、それともメスを入れてがん細胞を摘出するのか決めてもらいたいと思いました。
ただ、そのホームページには、その医師や病院についての情報は載っていませんでした。 ホームページの中に、メール送信フォームがあったので、思い切って皮膚がんの手術を行った名医と病院の名前を教えてほしいという内容のメールを送信してみました。 毎日まだかと、やきもきしながら返信を待つのですが、なかなか回答は到着しません。 無視されたかと諦めかけた頃、返信が返ってきました。
そのメールには、返事が遅れて申し訳なかったという謝罪や、自分と同じ境遇の人の参考になってとても嬉しい、あなたもぜひがんばって闘病生活に打ち勝ってもらいたいという温かい励まし、そして喉から手が出るほどほしかった、皮膚がんの手術の名医と病院の名前、所在地が記載されていました。 パソコンの前で涙を流して喜びました。 これほどまでの達成感は、これまでの仕事人生でも、あるいは学生の頃にも味わったことがありません。
気持ちが少し落ち着いてきたところで、お礼のメールを書き始めました。 いかにそのメールが私を力づけてくれたか、同じ病気の患者同士として、お互いに元気に生きていこうということや、病気の先輩として、これからも色々アドバイスしてほしいなど、気がついて見ると1時間が過ぎ、作成していたメールもとても長いものになってしまいました。 これほど長いメールではかえって相手に迷惑かとは思ったのですが、せっかく書いたのだからと、送信することにしました。
これほど人の親切が身にしみたことはありません。 世の中はまだまだ捨てたものじゃないと、心から確信できました。
実際に経験してみないと、分からないことはたくさんあります。 手術で皮膚がんが治るかどうかという悩みなど、健康なときには心で実感することはできないものです。 私自身だってそうでした。
同じ病気を経験したからこそ得られる連帯感もあります。 いくら家族や周囲の人間から励まされても、それは病気を知らないものの無邪気で無責任な言葉にしか思えず、孤独感を拭い去ることはできませんでした。 同じ境遇だからこそ感じるところがあったのです。
メールに示されていた皮膚がんの手術の名医がいる病院は、私の住む町からは離れていました。 それでも車で4時間ほどで到着できる距離です。 日本全国どこでもおかしくなかったことを考慮すれば、その距離なら幸運だといえるでしょう。
名医の手術で皮膚がんが完治すれば、あるいは延命することができれば理想的です。 抗がん剤の投薬治療で副作用に苦しむより、一時覚悟を決めることで済ませられるほうがよいでしょう。 ケースバイケースではあるでしょうが、延々苦しみながらの治療生活というのは、私には向いていないように思えました。
ただし、それはあくまで患者の素人考えです。 まずは手術で皮膚がんを治療するほかに、どのような選択肢があるのかを確かめなくてはなりません。 そして、それぞれの治療法のメリット・デメリットを比較して検討して答えを出す必要があります。
家族とともに、名医を求めて病院へ向かいました。 そこに救いがあるという確信にも似た自信を持って・・・。
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告知を受けた瞬間から、かつての健康が当たり前のものではなくなりました。
空気や水のように際限なくあふれているはずだった健康というものが揺らぎつつある現状に、軽いめまいを覚え、精神的に不安定な時期を経て、ようやく落ち着いて事実を受け入れられるようになりました。
他の方の闘病記を読んで、患者として先輩の方々の意見や考え方を知り、自分もこれから病気と向き合って生きていかなくてはならないという事実を改めて意識し、気合を入れなおしたのです。
これまで、小説を読むことはあっても、ノンフィクションを読むことはほとんどありませんでしたし、まして皮膚ガン闘病記を読む機会などまったくといってよいほどありませんでした。
それが告知後には世界が一変したのです。周囲から見たら、変わったのは世の中ではなく私なのでしょうが。
本だけではなく、ネットでも皮膚ガン闘病記を検索し、暇があれば読み込むという日々が続いています。
始めのうちは、情報収集が主な目的でした。病院で今後の治療方針の説明は受けましたが、生存率については教えてくれませんし、治療費がいくらかかるのかも長い目ではわからないということでした。
そもそも、その病院を信頼していいのかも分からない以上、それ以外のルートで情報を集める必要があったのです。
ある程度、今後の方針が固まってきてからも闘病記を読みつづけているのは、他の患者の気持ちを知りたい、孤独感を紛らわしたいという気持ちがあるからです。同じ痛みを知る者として、通じる部分はやはりあります。
そして、今度は私が闘病記を書き始めることにしました。かつて私が他の方の闘病記を参考にし、励まされたように、微力ながら誰かの助けになることができれば幸いです。
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